Friday, September 30, 2005

日帰りネバーランドのスリルとゴールディロックの顛末

子供を持つと、いろいろと新しい経験をする。そのレベルは悟りとまで感じるものからひらめき程度にいたるまで幅広い。

また、子供がいるからこそ久しぶりに行く様な場所もあったりする。これもなかなか粋なものなのだ(呑気な発言だが)。
そして、いままで経験した事が無い経験にも用意に出くわす。

例えばロスターと呼ばれる幼稚園のお手伝い。
良い年取ったムサいおやじが幼稚園へ行って息子と一緒に時間を過ごすのだ。いや息子だけでなくたくさんの可愛い子供達と一緒に過ごすのだ。
まさに嬉し恥ずかしの入園体験。気分はもうネバーランド。初めての時は一体何をすればいいのか頭の中が白くなり前日に何か隠し芸でも用意しなければと余計な心配をする。当日になって先生方に会うと、向こうも慣れたもので私の動揺ぶり察して「今日はお子さんと一緒にいてあげればいいのよ。なにか手伝ってほしい事があれば言うから。」と言ってくれる。
内心ホッとするものの、慣れない場所にでかい体を呆然と立たせている様は、まさに『でくの坊』なので一応いろいろ掲示板や子供の作品、はたまた園内の構造などをチェックして回る(スパイか?)。

見る物もなくなったので、助けを求める様にして息子のそばへ行き一緒に積み木遊びをしていると、他の子供達もやって来た。そのうち女の子もやってきて、いつのまにやら人気者(オモチャ)になっていた。男の子と一緒にレゴで遊んだり、女の子とはショッピングごっこで遊んでいるうちに本来の目的をすっかり忘れている。そんな頃合いを見計らってか、先生からお呼びがかかった。

これからモーニングティーの用意をするから冷蔵庫から飲み物をもってきてほしい、と頼まれる。
きっと先生達も、このお父さんはこのまま仕事もしないで子供と遊んで帰るに違いないと踏んだのかもしれない。

冷蔵庫から水で薄めたオレンジのコーディアルと、ミネラルウォーターの2種類のジャグをコップが人数分並んだトレーに置いて、子供達の所へ運んで行く。

子供達は外の木陰に並んだ小さな椅子に座って、おとなしくジュースやバナナ、ビスケットなどを頬張っている。中にはオリーブだけとかさやいんげんだけをパリパリ食べている子供もいる。(いつか詳しくお話するだろう。)

そんな彼らが愛らしく、ほのぼのと見つめながら最初の恥じらいもサヨウナラと気を大きくした私だったが、その後に大きな難関に遭遇する事になる。

モーニングティーも済んで、子供達はまた元気に外で遊びだした。そして30分経った後、子供達は先生に導かれてクラスルームに戻ってゆく。私も後について行き部屋に入るとドアが閉めらた。それから突然、陽気な音楽が部屋中に響き渡った。

ジャンジャンジャンジャン!「ハイ、大きく手を上に上げてぇ〜。」子供達と一緒に先生達も手を上に上げて踊りだす。にぎやかなメロディーと共に子供達も陽気に踊りだす。やさしかった先生達も、さっきまで子供と一緒になって遊びほうけていた私にお仕置きとばかりシカトして踊っている。子供達も、ほとんどサバト化(悪魔を信仰する異教徒の集まりが狂舞する様)して勝手気ままに踊りだす。完全に取り残された私は、このまま『でくの坊』と化すのか、またはプライドを捨てて彼らと一緒に踊らなくてはいけないのか?これこそがまさにキンダーガーデン・ロスターの最大の難関だったのだ。

こうなったら、踊ってやる!と根性を見せようと気合いを入れてみるも、ダラリと下がった両手からは指だけがかすかに参加するだけにとどまっていた。

約15分程のお遊戯の時間は、じっとりと油汗がにじんだ私に『でくの坊』ぶりを残酷なほど認識させてくれた。

極度の精神的疲労を感じながら次の攻撃?に固唾を飲んでいると先生は子供達を座らせて『お話の時間』に入った。
先生は日本でも馴染みのある『ゴールディーロックと熊さんたち』の絵本を持ってページを開いた。

先程までピリピリとしていた私に、安堵をもたらせてくれた『お話の時間』は、先生の語り上手で、あっという間に佳境へと進んで行った。

その時、ふと初めてゴールディーロックを読んだ子供の頃の疑問を思い出した。
さんざん熊の家を荒し回ったゴールディーロックと熊達はその後どうなったのか?
まるで芥川龍之介の『猿蟹合戦』でもあるまいし、昔話のその後などは読者のイメージに託すのが粋なのだろうが、このゴールディーロックだけは正直な所許せなかったのだ。
子供心に、あんな厚かましく恥知らずな女の子はいないと猛烈な嫌悪をいだいたのだった。
今となっては、そこまでの嫌悪はないが、この本は一体何を子供達に伝えたかったのだろうと、せなけいこの「ねないこだれた」の系列や「三匹のやぎのガラガラドン」を読んだ時と同じ様な無常感を感じていた。

先生が絵本を閉じゴールディーロックのお話も終わると、先生は子供達を見つめて質問をした。

「そのあと、ゴールディーロックはどうしたか知っていますか?」

あまりにも急所を突かれた思いに瞬きをした私は、子供達に先生の問いに答える間を与えず「続きあるんですか?」と首を突っ込んでしまった。
私の無礼をとがめる事無く先生は自信たっぷりな表情でうなずき、ゆっくりと話はじめるのだった。

『熊の家を荒らしたまま、迷ってしまった森へまた入り込んだゴールディロックは、なんとか家に戻る事ができました。ゴールディーロックの姿を見たおかあさんは、寝癖の付いた髪の毛と口の周りにポーリッジがへばりついているのを見て驚きます。一体何をしてきたのか?と娘に問いただすと、ゴールディロックが熊さんの家でした顛末を話しました。娘の失態に飽きれたおかあさんは、おとうさんを呼んでゴールディーロックと3人でくまさんの家へ行きます。くまさんの家を見つけた3人はドアを叩くと
大きなくまが現れて3人を中へ入れます。おかあさんはゴールディロックを前に出して、娘の失態を深く詫びまずが心優しいくまさんたちは「そんなに気にしなくてもいいですよ。ただちょっとビックリしましたけどね」とゴールディーロックの無作法を許します。しかし、ゴールディロックのおかあさんは「お詫びに、私にポーリッジを作らせてください。」と頼みます。ゴールディーロックのお母さんはポーリッジを作り、おとうさんは壊れた椅子を直し、ゴールディーロックはクシャクシャに寝崩したベッドをもう一度綺麗に直して、くまさん達と仲良くポーリッジを食べたのでした。』*

話を聞き終わると私は深いため息とともにいいしれぬ満足感に満たされた。まさに話の終わりを最後まで聞けたよろこびと、お決まりながらのハッピーエンドに安堵したのだ。ベタだけど。

こんな経験も子供を持ってから得た経験として新しい。

*本当はもっと子供向けのやさしい表現で話していたはずなのだが、英語だったので私的に訳させてもらった。

Saturday, September 24, 2005

完璧なまでのブレックファーストとバンシー*のリベンジ

クリスピーな朝日を浴びてテラスで朝食を取る。私のお気に入りのATOMIC Coffee Machine で作ったコーヒーをカップに注ぐ。白いOld Pyrexのコーヒーカップは妻のお気に入りで、ただのミルクグラスのコーヒーカップとソーサーなのだがシンプルなデザインと乳白色のガラスが光に当たり、注がれたコーヒーの色がうっすらと見えて優しい色合いにとけ込んでゆくのがいい。厚めにバターを塗ったフルーツ・ブレッドのトーストと不透明な厚手のガラスでできたレトロなオレンジ色のフルーツボウルにミックス・ナッツをいれたシリアルが今朝のメニューだ。気持ちのいいそよ風が、庭に咲くジャスミンの花の香りを運んでくると思わず青い空を見上げてしまう。ああ、なんて気持ちのいい朝なんだろう。これらを用意してくれた妻に感謝して幸せな時間を送る。

でも、アレさえなければパーフェクトなのに・・・・。

オーストラリアに来て15年以上になる。日本でいつも仕事と夜遊びに時間を費やしていた私はここへ来て孤独の喜びを知る。
周りを気にしないで生活できる事の喜び。訳の分からない流行についてゆく必要もない気楽さ。自分自身が確認できる安心があった。
環境が私をそうさせたのだと思う。

街の至る所に大きな樹が植えられている。ジャカランダという10月の半ばから藤色の花を桜の様に咲かせる樹があり、ユーカリがあり、プラタナスがあり、またモートンベイ・フィグと呼ばれる小さなイチジクの実を付ける樹があったりする。
ビーチに行けば、老若男女と問わず泳いでいたりジョギングしていたり日光浴を楽しんでいたりする。天上は高く地上は広く、自分の両腕を大きく伸ばしても周囲に迷惑をかけない環境がここにはある。

そう、ここは日本より少しばかり広い所なのだ。もちろん不自由を感じる所もたくさんある。だが、不満の原因のほとんどがこの国の習慣や他の国から来た人たちとの文化の違いなどからくるものだ。今朝の朝食の問題もそれに該当するのか。

隣に70歳位のイタリア人のおばあさんがいて、この界隈ではナンシーと呼ばれている。もう7年以上ここに住んでいるが彼女の本当の名前を知ったのはつい最近のことだ。ヴィンツァという名が本名らしいが、あまり、というよりまったく英語が出来ない彼女から聞いたので、もしかしたら姓がヴィンツァで名前がナンシーなのかもしれない。

眉毛の濃い坂上次郎似の雪だるまのような体型のおばあさんは、私達がここへ引っ越した時はすでにパートナーとは死別して一人暮らしをしていた。子供達にキットカットをくれたりイタリア語で陽気に話しかけてくる人懐っこい人物だ。ある日、甥っ子がイタリアからやって来て一緒に暮らす様になった。ナンシーと良く似た体型に口ひげをはやして、マリオがメガネをかけた風貌のアントニオは40半ばのおっさんで、調子が良くって幾分うさんくさく、あまり好きになれなかった。よく車で家路に向かう時など、二人がまるまるした体をピッタリとくっつけ、アントニオがナンシーの肩を抱きナンシーがアントニオにしなだれかかる様に寄り添いながら散歩している姿を見ると、親子でもここまでイチャつかないぞ!と下世話ながら想像したくない疑問がよぎったものだった。

だがアントニオが来てから4年程経ったある日、近所に住んでいたナンシーの義理のお兄さんが亡くなった。彼の家を売る事にしたのだが英語のしゃべれないナンシーはアントニオに義理の兄の土地の売却を任せる事にした。アントニオは「1ミリオンでさばいてやる!」と息巻いて目を輝かせていた。だが、ある日からアントニオの姿を見なくなる。

雨が降る夕方、子供達が家中でやかましく遊んでいると、誰かがドアをノックした。子供達の「だれかきたよ〜」の可愛らしい声を聞きつつ微笑ましく思いながらドアを開けると、ダークブルーのレインコートを着たナンシーが訳のわからないイタリア語をまくしたてながら家の中に入り込んで来た。よく聞くと雨が激しくなって来たので一人で家にいると怖い。親戚があと1時間程したら迎えに来るからそれまでいさせてほしい、というのだ。
アントニオの事を尋ねると、それまで悲しみに拉がれていた彼女の顔が一変し「He is BAD MAN!」を繰り返す。アントニオはナンシーの義理の兄の土地を高額で売って、そのお金をナンシーに渡す事なくイタリアへ持ち逃げしたのだ。あれほど信じていたのに裏切られた彼女の悲しみを思えばヒドい話だと思った。話を聞いた後ソファで寛いでもらって1時間後、ナンシーの親戚が来ると彼女は礼をいって出て行った。また雨がひどい時は来てもいいか?と頼むので、かまわないと伝えて。

1週間後、また雨が降り出した。ナンシーが来たので家に入ってもらってソファーで寛いでもらっていた。私は夕飯の料理で忙しかったので彼女にお茶とビスケットを差し出してキッチンへ戻る。子供達も遊び場のリビングをナンシーに占領されたので子供部屋へ移って行った。10分後、ナンシーの様子を見ると目をギラギラさせながら落ち着かないそぶりをみせている。「大丈夫?」と声をかけるとまた笑顔に戻って大丈夫だと答えた。変わってるよな〜、と呑気に思いながらもキッチンへ戻る。また10分してちらりとナンシーを見るといびきをかいて寝ている。

こんな時期が2ヶ月程続いた。だが、これは間違いだったと分かって来ていた。ナンシーの来訪はエスカレートしてゆき、雨が降る降らないに関わらず、週末の家族団らんの午後でもやって来る。大切な友達を招いてのパーティーの時もやって来る。子供達も次第に怖がりだす。落ち着かないのだ。いくら私や妻が「今日は、遠慮してくれ」と言っても「大丈夫、気にしなくていいからソファで座っているだけだから」と言う。我が家の部屋の構造がリビングとダイニングが筒抜け状なので私達が食事をしているとソファーに座る彼女が見える。何度かこっちに来て一緒に食べないか?とも誘ったのだが、彼女の遠慮なのかいらないと辞退する。
居心地のあまり良くないディナータイムが訪れる。

ある週末の夕食時、またドアがノックされた。子供達は一斉にビクリとした。妻も困った目を私に向けた。私は立ち上がりドアを開けるとナンシーがしゃべりながら入ろうとする。私は体で入り口を塞ぎながら「今日は遠慮してくれ」と断ったが、いつもの調子で「ソファーにいるだけだから」とニコニコして私の肩を押しのけようとする。頑に「申し訳ないが、妻も疲れているので、今日はかんべんしてほしい」と続けると、困った表情で「プリーズ、親戚が2時間後に来るからそれまでだけだから」と訴えて来る。そこまでして自分のことばかりを考える彼女に少し腹立たしさを感じて来た私は「悪いけど、今日は私も疲れているので又今度にしてくれ」とドアをしめながら告げた。そして彼女の顔が険しくなり「ひどい!」と憤慨し戻って行った。

イヤな気分がした。でも自分や家族が不愉快な思いをするくらいなら別に他人に悪く思われても構わないので言って良かった。

その後も彼女の訪問の数は激減したものの今でも続いている。

訪問が減った代わりに一つ増えた事がある。ナンシーの家には亡夫が作り上げた過去の美しさを忍ばせる前庭がある。ジャカランダの大樹を真ん中に立たせ、数本の灌木が目立つ。今もこの部屋の窓辺に座ると新芽を沢山つけたジャカランダの枝が見える。来月の満開時が楽しみだ。玄関の脇には赤ワインのような香りを放つ美しいポートワイン・マグノリアが植わっている。そのマグノリアから少し離れた所にはピンクの花を咲かせるサルスベリの樹がある。しかし、残念ながらガーデニングに感心のないナンシーは亡夫の形見に世話をかける事なく庭は荒れ果てている。それどころか、そんな綺麗な花々が咲くそれらの樹々の枝に最近スーパーの白いビニール袋のような物体が垂れ下がる様になった。最初はタオルかと気にしないでいたが、それらがナンシーのデカパンであることが判明し、心の大変狭い私は『やめてもらいたいモノだな』と切に切に思った。オーストラリアの役所では基本的に玄関や家の正面側には街の景観上の視点からブランケットであっても干してはならない決まりがある。地区によっては罰金の対象にもなるのだ。

もう文句を言う気力も失せる程の脱力感を与えるナンシーおばさんのデカパン攻撃に、完璧なまでの今朝の朝食も30パーセントほどの憂鬱を受けたのだった。

P.S. どうして30パーセントなのかって?本当は半減する程のダメージだけど20パーセントは私が大人になった分抑えができた事にしておく。

注)*アイルランドから伝わったオーストラリアの妖精(妖怪?)、深緑のマントを着て人の家に訪れては玄関ばたなどで泣き出す。バンシーが現れ泣く時とはその家に死人が出る事を意味すると言われている。ケイト・ブランシェットとレイフ・ファインズの映画『オスカー&ルシンダ』の原作者としても有名なピーター・ケアリーの小説『True History of The Kerry Gang』のなかでも山中のブッシュハウスに住むネッド・ケリーの家に現れる。