Monday, October 10, 2005

究極の幼稚園と涙の卒園式

もう10年近く前の話だが、会社に戻る途中街を歩いていると子供の泣き叫ぶ声が聞こえて来た。
ビル街にはとても不似合いな子供の泣き声は私の進む前方から聞こえて来る。見つけた声の主は、まだ1歳位のデイケアと呼ばれる託児所に預けられている男の子だった。なぜ、それほどまでに大きな声で泣いているのか?という疑問は、その子の前に立ち尽くす若い女性の姿で解決する。彼女はここの託児所の先生らしく胸に名札をつけていた。年齢は20代半ばだろうか?彼女は眉間にシワをよせて「泣くな」と彼を罵倒しているのだ。二人のあまりの激しいやりとりに他の先生がやって来たのだが、彼女は子供の躾をののしりながら、もう一人の先生に愚痴をこぼしている。これで落ち着くのかと思っていたら、聞き手はただ頷くだけで彼女に子供への対応をアドバイスすることもなく部屋へ入って行った。そして抱きかかえてあやされる事も無く、男の子は泣かされたまま放置されてしまったのだ。

また別の日に、こんな光景も見た。一番上の息子が最初に入った幼稚園での出来事。
お昼までのクラスだった息子を迎えに行った時、教室の風景を覗きながら息子のクラスへと足を運ばせていた。
隣の教室では廊下越しに、コンクリートの床の上にスポーツ・マットを敷き布団にして、薄いブランケットをかけてザコ寝をしている子供達の姿が見えた。それぞれ頭を向き合いながら寝ている子供達の間を歩く先生の姿。彼女は見下ろしながら左右の子供達の枕からはみ出た頭の位置などを足で巧みに直している。飽きれた私は当然、息子をそこに行かせるのはやめる事にした。

全くひどい有様を見せられて少しばかりこの国の未来に失望した。

だが、その後息子が行った幼稚園は今まで私自身も体験した事が無い程の素晴らしい幼稚園だった。おかげで3人の息子達を安心して通わす事が出来た。

前回のロスターの話でも出て来たこの幼稚園には、校長先生でもあるアネットという大変しっかりした先生がいる。彼女は、すでに成人となった3人の男の子のおかあさんだ。彼女を筆頭に3人のプロの先生と3人アシスタントの先生によって園内の子供達の面倒が見られている。3歳から5歳までの子供達を2つのクラスに分けて、それぞれ3人の先生が担当する。子供達は自由に絵を描いたりブロックで遊んだり、コスチュームを楽しんだりしながらクリエイティブを育くみ社会性を学んだりする。ケンカや寂しくなって泣いたりしている子供がいると、そばに行って抱きかかえてゆっくりと話を聞いてあげる。先生達は大声で怒る様な事は絶対にしないが、悪さをしたら当然それなりのお叱りは受けなければならない。

以前、とても行儀の悪い男の子がトイレでおしっこをしに行った。近くにいた女の子におしっこをかけるマネをした彼は、わざと便器のまわりにおしっこをぶちまけた。私もこれはちょっとひどいなと思ったが、これからどうなるのか黙って様子を見ていた。女の子は先生に告げ口に行くと即座にジュディーと言うつぶらな目をした貫禄あるお母さん先生が登場した。彼女は彼の仕出かした粗相を叱りつける事も無く、ニヤニヤしている男の子の前にしゃがみ込んで話しかけている。立ち上がるとバケツと雑巾を用意して「あなたが汚したこのトイレを綺麗にしなさいね」と有無をいわさない貫禄で言い渡しその場から去ってしまった。その後、しょげた顔をしながら悪ガキ君はバケツと雑巾でちゃんとトイレ掃除をしているのだ。

また、この幼稚園にはいろいろな身体的な障害をもつ子供達も一緒のクラスで扱っている。足が不自由な子供や筋萎縮症の子供等もリハビリをしながら他の子供達と一緒に学んだりお遊戯をしたりしているのだ(これは大変良い事だと思った。私が子供の頃は、そういうシステムは無くて、身体や行動等に相違が見られるだけで嫌悪や拒否感を抱いてしまい、長い間、彼らに対する対応に悩んで、大変自分自身にイヤな思いをした)。

だが、その子達にはもうひとりのジュディーという特別の先生がついている。彼女はいつも明るく笑顔がチャーミングで、しっかりとしたスタイルを小麦色の肌が包んでいた。そんな彼女から威勢の良さが感じられて、彼女に会うと少しばかり元気を分けてもらった様な気分になる。

普段は、とても優しく笑顔を絶やさない彼女だが、時折、真摯なまなざしで彼らの記録をポラロイドに収めたり動作を注意深く観察している。

かれこれ5年程前の事だが2年間とも息子と同じクラスだった筋萎縮症の男の子がいた。初めて見た時、彼は車椅子に乗っておかあさんと一緒にやって来た。足どころか手も満足に動かせない姿に他人の子供ながら不憫だと思った。

ジュディーは彼の先生となり、彼女とコミュニケーションを取りたがらない彼の面倒を根気強く見ていた。
1年経った頃になると彼は杖をついて歩ける様になり、子供を預けている他のお母さん達の間でも話題になった。
私はジュディーと彼の頑張りを賞賛し、その成長ぶりに感心した。そして引っ込み思案でコンプレックスもあった彼はみるみるうちに自信を持ち、他の子供達とも遊ぶ様になっていった。

そして2年目の卒園式の日。

私は卒園式など行きたくなかった。だが、仕事で行けない彼女の代わりに私は否応無しに行かねばならず、重い足取りで幼稚園へ出向いたのだ。
ゲートに着くとフェンスはカラフルなリボンで飾り付けられ、廊下は稚拙ながらも絵や折り紙などで綺麗に装飾されている。息子のクラスから音楽が聞こえてきた。もうすぐ子供達の最後のお遊戯が始るのだ。

子供の背丈程のクリスマスツリーが部屋の真ん中に置かれ、ツリーの前で子供達が一列に並んで歌を歌っている。息子も大きな口を開けて一生懸命歌っていた。2年前に比べると大きく成長したものだと少し感慨深くなった。

やがて、2〜3人ずつ子供達が前に出て来てクリスマスツリーの周りで歌いながらダンスする。それぞれが手に持った飾りをツリーにかけると周りに座って次の子供達の順番を待つ。息子の番が来ると赤と白のキャンディーケーンを持って歌いながら元気に踊っている。他の両親達も、とてもに楽しそうに子供達のパフォーマンスを見ていた。

息子の番が終わると次の子供達のグループの番が来た。元気よく踊りでた3人はそれぞれサンタやスターやベルの飾りを手に持ってツリーの周りをスキップしながら踊りだす。驚いた事に3人の中には障害のあった男の子もいた。まだ弱冠の不自然さは残るものの、その見事なまでの成長ぶりに目頭が熱くなり不覚にも涙が溢れ出ようとしていた。ハッと周りを見渡すと他の両親達も皆涙しているではないか。めいめいにハンカチを手にして頬を染めながら心から良かったと感動しているのだ。私は、さぞかし彼の両親もうれしい事だろうと思い彼らの方を見ると、ふたりは頬を紅くし肩を抱き寄せ、ハンカチで涙を拭う事すら惜しむ様にして我が子のパフォーマンスをじっと見つめていた。その後ろでジュディーも両手をしっかりと握りしめて祈る様に胸に置き笑顔で彼を見ていた。

ダンスが終わり、校長先生が今日のパフォーマンスの為に子供達が一生懸命練習して来た事を褒め讃えた後、私達は先生を始め素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた子供達に拍手を送った。

私達の拍手が終わり、彼らがこのクラスにいる最後の時が来た。

先生が子供達に別れを告げながら綺麗なラッピングペーパーとリボンで包装された包みを渡している。受け取った子供達は、自分の親の元へ行き、その包みを渡している。息子も先生から貰って来ると、両手を伸ばして「ハイ、おとうさんへ」と私に包みをくれた。「ありがとう」といって手に持ったままでいると「今、開けても良いよ」という。それじゃあと包みを開けたら中から自画像と名前が描かれた表紙を付けた厚いファイルが現れた。ファイルの中には、この幼稚園で彼が過ごした時間がありありと伝わるクレヨンやちぎり絵などで描いた絵、筆記帳などの作品が成長の記録として納められていた。ミミズのような線からはじまり最後の方では立派な絵や文字になっている様には深い感動を覚えた。

ページをめくる度に目頭が熱くなるので、途中で閉じて「続きは家に帰ってからゆっくり見させてもらうよ」と言った。
しかしファイルの下に、もうひとつ小さな包みがある。私へのプレゼントだから今開けてご覧と言う我が子へ、「これも家へ帰ってから見る事にしよう」と答えてみたが、「他のおとうさんやおかあさんも開けてるよ」と促されたので開ける事にした。

綺麗な包装紙を開けると、自分で作ったと言うブルー地にピンクのハートや花、星や月の形をたくさん散りばめた写真フレームが出て来た。そしてフレームの中には、遊び親しんだ幼稚園の庭を背景にして可愛らしく微笑みかける彼の写真が納められていた。

屈託のない笑顔を見ている内に、私の息子がここでいかに自由に、そして大切な時を過ごしてきたのかが良くわかり、この2年間の歳月を息子達に費やしてくれた先生に感謝した。その刹那、息子と私の、さまざまな思いが胸いっぱいに溢れ出し、次第に目の前がにじんで色が混ざり合ってゆく。

「ダメだ!おとうさん泣いてしまうぞ。」泣いてしまっている自分に恥ずかしさを感じつつも息子にありがとうと言って抱きしめた。
ハンカチを取り出して笑いながら周りを見ると、私同様に我が子から写真を貰った両親達もやはり笑顔で泣いていた。